
大森一樹(映画監督・脚本家)
1952年3月3日ー2022年11月12日
大阪市東住吉区生まれ。10歳の兵庫県芦屋市に引っ越し、その後生涯に亘り在住することとなる。
六甲高校在学中から仲間たちと8ミリ映画を撮り始める。京都府立医大在学中に監督した16ミリ作品『暗くなるまで待てない!』を各地で自主上映し、一躍映画ファンに自主制作映画の金字塔としてその名が知れ渡る。
1977年(25歳)に第三回城戸賞を受賞した自らの脚本「オレンジロード急行(エクスプレス)」監督し、翌年に医大生でありながら26歳でメジャー映画監督デビュー。映画を志す若者たちに大きな刺激を与えた。
1980年、自身が経験した医大生の体験を描く「ヒポクラテスたち」を監督。1981年、兵庫県芦屋市立精道中学校の3年先輩である村上春樹さんの小説「風の歌を聴け」を映画化。1980年から吉川晃司主演3部作、斉藤由貴主演3部作を監督し、アイドル映画の名手として売れっ子監督になる。
1989年から「ゴジラ対ビオランテ」「ゴジラ対キングギドラ」をはじめとする平成ゴジラシリーズの脚本や監督を務めるなど、多数のヒット作を生み出した。1997年には「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞。2005年から大阪芸術大学 映像学科学科長として次世代の映画人の育成に努めた。
2022年11月12日、急性骨髄性白血病のため兵庫県内の病院にて逝去。
1977年 「オレンジロード急行」にて第三回 城戸賞受賞
1978年 「オレンジロード急行(エクスプレス)」(松竹)にてメジャー映画監督デビュー
1980年 京都府立医科大学 卒業
1983年 医師国家試験合格
1986年 「恋する女たち」(東宝)にて文化庁優秀映画賞、第11回日本アカデミー賞 優秀脚本賞および優秀監督賞を受賞
1988年 文部省芸術選奨新人賞受賞
1996年 『わが心の銀河鉄道~宮沢賢治物語』(東映)にて、第20回日本アカデミー賞、優秀監督賞、受賞
2000年4月~2005年3月 大阪電気通信大学総合情報学部メディア情報文化学科、教授
2005年4月~2022年11月 大阪芸術大学芸術学部 映像学科 学科長
2022年11月12日 急性骨髄性白血病で死去
著書に『映画物語』(筑摩書房)
『震災ファミリー』(平凡社)
『あなたの人生案内』(平凡社) など